Jリーグ懐かしの助っ人スターズ 野手(一塁手)
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ロッサム
■ 名前:ロッサム (本名:エリック・ファン・ロッサム)
■ 所属:ヴェルディ川崎(当時)、アルビレオ新潟FC(アルビレックス新潟の前身)
■ 国籍:オランダ
■ ポジション:DF
Jリーグ黎明期のヴェルディを代表する白人ディフェンダー。
J開幕1993年ファーストシーズンで退団したハンセン(理由はホームシック!)の穴を埋めるべく、オランダから入れ違いでセカンドシーズンより加入。ただ、こちらも名前だけで容姿やプレーの印象が全くなく、いつの間にやらいなくなっていました。(ウィキペディアによると、やはりロッサムもわずか半年で退団。その後、アルビレックス新潟の前身となる社会人チームにもいたとか。でも、キャリアそのものが短すぎるからまだ編集途中?信憑性薄い?)
ちなみに、マイヤー、ハンセンと共にオランダ化を目指したヴェルディですが、ラモスらブラジル派の古株と軋轢を生み、内部分裂してしまいました。
ハンセンと同じく、やっぱりなんとなくで。
190cm82kgのスケールよろしく、パワー重視のDFだったことくらいしか連想できないので、当然守備+パワー系。ハンセンと差別化したかったんだけど、やっぱり同じようなパッとしない感じだから、個性の微妙な選手となりました。ゲーム的に言えば、数少ない能力「パワーヒッター」「粘り打ち」を、継承システムで伝授させてもらいましょう。
新たに追記。せっかくなのでデータベース的にも改めて調べ始めたら、こんなサイトがありました。う~んこの、思ってたんとチガウ!
ただ、彼については他のオランダ人選手が離脱してしまう中、リーグ戦の後期全試合、カップ戦全試合でレギュラーとして活躍し、見事ヴェルディの後期ニコスシリーズ優勝に主力として貢献したのです。
もともと、Jリーグ開幕前の読売、日産のライバル時代は、日産が「堅守」読売が「攻撃」と対極なサッカーをしており、攻撃力の一方で守備には問題を抱えていたのですが、アンカーに闘将こと柱谷哲二さんを据え、ペレイラとロッサムが組む守備は極めて安定しており、その守備の安定が後期シリーズ優勝に繋がったのは間違いないでしょう。
加えて絵に描いたような金髪イケメンで、そのブロンド髪を靡かせてのプレーはおそらく女性ファン、サポーターを虜にしたことは想像に難くありません。
ただ、彼の場合、最後が非常に残念でした。
後期シリーズを制し年間王者を決めるジーコ率いる鹿島アントラーズとのチャンピオンズシップに挑んだヴェルディは第1戦を制し、もちろんロッサムも見事に鹿島の強力攻撃陣を封じ込め、第2戦も当然出場すると思われました。
ところが。
この年にヴェルディに加入した外国人戦士にはもう一人、パウロという選手がおり、アンカーのポジションの選手だったのですが、レギュラーは奪取できずシーズン途中にチームを去ったはずでした。しかし、チャンピオンズシップ第2戦のメンバーに、チームを去ったはずのパウロがなんと急遽メンバーに登録され、アンカーの位置に入りペレイラと柱谷がセンターバックを組み。ロッサムは外国人選手枠の関係でベンチ外に追いやられてしまったのです。
戦術的なものだったのか、それともチーム内の事情で何かあったのかはわかりませんが、おそらく当時のサポーター、ファンの大多数は「は?」と思ったでしょう。ご存知のように、ヴェルディはアントラーズを破り初代年間王者に輝くのですが、ロッサムはこの扱いに激怒し、祝賀パーティーにも参加せず帰国。そのまま契約解除となってしまいました。
こんな人もいた!ヴェルディ歴代外国人列伝 第2回 ロッサム
わりと優良助っ人の部類だったんだね、ロッサムは。名前だけでイメージ(+野球選手化)しちゃアカンね。笑
ついでだから、発見されたロッサムの写真も公開。インターネット検索ってすごいや!笑
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ラモン・ディアス
■ 名前:ラモン・ディアス (本名:ラモン・アンヘル・ディアス)
■ 所属:横浜マリノス(当時)
■ 国籍:アルゼンチン (代表歴:22試合10得点)
■ ポジション:FW
栄光あるJ リーグ初年度の得点王です!
172cmと決して上背があるとは言えませんが、初年度は32試合で28ゴール、2年目は37試合で23ゴールと、高い得点能力で横浜マリノスを牽引しました。ついた異名は「左足の魔術師」。
Jリーグだけでなく、アルゼンチンを代表するストライカーですが、同国代表としてはワールドカップ出場はわずか1大会(1982年スペイン大会)のみ、通算22試合10ゴールと真価を発揮せぬままキャリアを終えました。
ちなみにその理由の一つには、同年代で活躍した神様・マラドーナとの確執にあったと言われています。今もなお破天荒に生きるマラドーナに対しディアスは人格者として知られ、マラドーナが問題行動を起こし世間中から批判されていた時期でも、マラドーナを擁護する発言をしていました。(このエピソード、ウィキペディアで見かけた記憶があったんだけど、2021年6月時点で確認しても見当たらない。削除されたのかな?=信憑性薄い?)
マラドーナ側はどんなコメントを出していたのかというと、(これまたウィキペディア参照ですが)著書の中で確執を否定、逆に1986年大会、1990年大会のメンバーに呼ぶべきだと代表監督に主張したとしている、とのこと。
2020年11月25日にマラドーナが亡くなってしまった今、ディアスは何を思っているのかなあ‥‥。
生粋のストライカーは攻撃に専念させてあげたい!との思いから、守備の負担の少ない一塁手で作成です。守備力どころか送球機会も少ないので肩力もそっちのけ、攻撃能力の取得に全力を注ぎました!
ポイントだけでは取得できない「威圧感」をはじめ、「広角打法」や「チャンスメーカー」、「チャンス+1」の取得に成功したのは面目躍如たるところです。しかも、足の速さというよりは瞬発力抜群のイメージより、走力Aに加え「内野安打○」も身につけて、攻撃面では満足のいく選手を作れました。
惜しむべくは、友情タッグ練習がなかなか発動できなかったこと。友情成立後になかなか所定の練習に顔を出してもらえず。あと数回発動できていれば、もう1つ2つ特殊能力が取得できたのでは‥‥と無念です!
* 歴代Jリーグ外国人選手 を作ってみる_ ビスコンティ
ビスコンティ(二塁手)を作ってみました。
■ 名前:ビスコンティ (本名:ダビド・ビスコンティ)
■ 所属:横浜マリノス(当時)、アビスパ福岡 ほか
■ 国籍:アルゼンチン (代表歴:12試合1得点)
■ ポジション:攻撃的MF、FW
Jリーグ黎明期に活躍した助っ人外国人の一人。
横浜マリノスのイメージが強いですが、マリノスには4シーズン、
アビスパ福岡に2シーズン半、サガン鳥栖に半シーズン在籍していました。
名前の響きから勝手にイタリア人だと思っていたけど、
代表歴もある列記としたアルゼンチン人とは!
なるほど、強かった頃のマリノスには
ビスコンティの存在が欠かせなかった気もします。
(初期のマリノスはアルゼンチン選手に強いパイプがあったねー)
てっきりバランサーかと思っていたら、結構攻撃的。
セットプレーの精度も高いとのこと。ん~、Jリーグも奥が深いなあ。
前述のとおり、完全にバランサーと思い込んでいたので、
データは当たり障りのなく、オールCを目指して作りました(反省です!)。
走力とかはわかんないけど、せめて「バットカーソル」くらいは
もっと高く作ってあげるべきでした。
特殊能力も、「安定度+1」は適当だと思うけど、他が「ハイボールヒッター」だけじゃ
アルゼンチン代表(10番も背負った事があるとか!!)の経歴に失礼です。
というわけで、そのうち作り直します。。。
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