実況パワフルプロ野球ポータブル3@PSP┃#投手(先発)

実況パワフルプロ野球ポータブル3/コナミデジタルエンタテインメント

Jリーグ懐かしの助っ人スターズ 投手(先発)

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リトバルスキー

 

 

■ 名前:リトバルスキー(本名:ピエール・リトバルスキー)
■ 所属:ジェフユナイテッド市原、ブランメル仙台(どちらも当時)
■ 国籍:ドイツ(代表歴:73試合18得点 ※旧西ドイツ代表)
■ ポジション:MF(オフェンシブハーフ)/FW(ウイング)

「リティー・パワー・ザ・ミロ!」のフレーズ(古いっ!)がいまだに忘れられない、W杯優勝経験を持つ優良助っ人外国人。勤勉でユーモアがあって、とにかく いいひと! の印象強し。
お世辞にも強豪と言えないジェフに入ってくれたり、そのジェフを現役最後のチームに選んでくれたり、はたまた突如ジャパンフットボールリーグ(旧JFL、Jリーグの下位リーグ)のブランメル仙台で現役復帰してくれたり。
漫画『ONE PIECE』のポートガス・D・エースじゃないけど、「(日本を)愛してくれてありがとう」と伝えたい。

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レオナルド

 

 

■ 名前:レオナルド(本名:レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ)
■ 所属:鹿島アントラーズ
■ 国籍:ブラジル(代表歴:55試合7得点)
■ ポジション:MF/DF

甘いマスクと華麗なプレーで「レオ」様の異名をとった元セレソン。1994~1996年の2年間アントラーズに在籍し所属し、中でも1995年の横浜F戦で決めた、5回のリフティングでディフェンダーを振り切った末のシュートは語り草となっている。
現役引退後はACミランやパリSGなどの欧州強豪チームの指導者として、またフロントマンとして活躍中。その端麗な容姿とは裏腹に、強気な剛腕っぷりがけっこう意外。
そんなレオナルドもまた、日本を取っても愛してくれてる一人。2005年頃、右腕に日本語で「全てに感動を」というタトゥーを入れ、「これで本当に日本とつながっている気がする」とコメント(ウィキペディア参照)。ん~けっこうマジなやつやね。ありがたい限り。T_T

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ベッチーニョ

 

 

■ 名前:ベッチーニョ(本名:ジウベルト・カルロス・ナシメント)
■ 所属:ベルマーレ平塚(当時、前身のフジタSC含む)、川崎フロンターレ
■ 国籍:ブラジル(代表歴:1試合0得点)
■ ポジション:MF

中田英選手がいた頃の、瞬間的に強かったベルマーレの一員。(ホントに瞬間的だったけど、ベルマーレ強かったな~)
1994年には年間24ゴールでベストイレブン入り。Jリーグでは通算115試合56ゴールの成績を残し、2003年には「レジェンド・オブ・ベルマーレ (Legend of Bellmare)」の初代受賞者として表彰されたとのこと。
1試合ながら、セレソン(ブラジル代表)にもなったことあるとは!オランダ代表キャリア1のマイヤーしかり、当時のスカウトはよくぞ掘り出してくるよ。
ちなみに余談ながら、どこか別のチームには ベンチーニョ ってのがいたんだよね~。

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バルディビエソ

 

  

■ 名前:バルディビエソ(本名:フリオ・セサール・バルディビエソ)
■ 所属:横浜マリノス(当時)
■ 国籍:ボリビア(代表歴:85試合15得点)
■ ポジション:MF

横浜マリノス(当時)を代表する外国人助っ人ですが、まさかボリビア人だったとは!!(またもやJリーグ恐るべし‥‥)
黎明期よりマリノスの助っ人=アルゼンチン人の印象が強かったので、完全に勘違いしていました。
バルディビエソはれっきとしたボリビア人で、1994年のアメリカW杯にも司令塔として出場。1991年の代表デビューから15年間、のべ85キャップ(15ゴール)を積み上げています。
1994年アメリカW杯の戦友アスカルゴルタ監督と共に、1997年にマリノスに加入。中村俊輔のプロ初ハットトリックのうち2ゴールをアシストするなど、中心選手としてチームを牽引しました。

コントロール、スタミナの基本能力だけでなく、変化球の変化、「ジャイロボール」をはじめとする特殊能力などのんびりプレイでの作成においては最高傑作の一つと言っても良いでしょう。

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ストイコヴィッチ

 

  

■ 名前:ストイコヴィッチ(本名:ドラガン・ストイコヴィッチ)
■ 所属:名古屋グランパス
■ 国籍:セルビア(代表歴:84試合15得点 ※旧ユーゴスラビア代表)
■ ポジション:MF/FW

もはや説明不要、ピッチの妖精(ピクシー)。国内外問わず世界中にファンを持つ偉大な選手にして、現役最後も代表引退試合も、み~んな日本でっていう大の親日家。グランパス在籍だけでも7年を数え、指導者としても6年もの年月を日本で過ごす。以下、日本大好きストイコヴィッチ話。(wikipediaィアより引用)

▲名古屋在籍時の1999年、母国セルビアのバスケットボール選手で、共に出場したロス五輪以来の親交を持つブラデ・ディバッツとの対談が組まれたことがあった。対談は大いに盛り上がり予定時間を超過したが、彼は神社仏閣の美しさからタクシー運転手の親切な振る舞いまで様々な事象を引き合いに出し、「いかに自分と家族が日本を好きか」ということを興奮気味に語り続けたという。
▲ベオグラードの日本大使館員に真剣に一時帰化の相談をしたというエピソードもある。
▲趣味は盆栽で、夏には浴衣を着て家族と寺院で記念撮影をする。
▲名古屋在籍時の1995年、ホテルのバイキングで中西哲生が食べていた納豆に初めてトライし、それ以後は納豆が大好物になり海外キャンプに行くときも納豆を持参するようにクラブにリクエストしていたが、1997年のオーストラリアキャンプで朝食に納豆が出されなかったことに激怒し、クラブスタッフを日本食食料品店に買いに行かせたこともあった。
▲鮎に関しては鮎を食べるために夏季キャンプに行くと言われるほどで、故郷のニシュに似ているという岐阜県飛騨市での約1週間のキャンプ期間中に30匹の鮎を食べたとも語っている。縄張りを持つ鮎の習性になぞらえて選手たちに「鮎のファイティングスピリットを見習え」というアドバイスを送った事もある。

こういう選手がこんなにも日本を好きになってくれて、心からの感謝しかないです。

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オリバ

 

  

■ 名前:オリバ(本名:フェルナンド・ニコラス・オリバ)
■ 所属:清水エスパルス
■ 国籍:アルゼンチン(代表歴:なし)
■ ポジション:FW/MF

エスパルスファンならほとんどの人が知っている優良助っ人。でも、他のチームのファンはほとんど知らないと思うので、彼の能力の高さを物語るエピソードを一つ。(wikipediaィアより引用)

2019年に公式戦1000試合出場を果たした遠藤保仁がその記録を記念して受けたインタビューにて、新人時代の1998年に対戦したオリバのプレーに衝撃を受けたと証言し「フィジカル、技術、選択肢のすべてが高いレベルで万能、ドリブルも多彩で予測できないかわされ方をした。とにかく上手くて何をしてくるか、何が得意なのか全く読めない選手だった」と述懐している。

選手(投手)作りとしては、まだコツをつかむ前の初期の方、とりあえずタッグ継承用に‥‥ってレベルだから、上記のような話を聞くと作り直さなきゃな~ってちょっと思ったりしてます。